東京高等裁判所 昭和60年(ネ)1995号 判決 1989年1月31日
控訴人 金光邦夫
同 金光昌子
右両名控訴代理人弁護士 菅野祐治
控訴人 金光庸俊
右訴訟代理人弁護士 榎本昭
同 福島健二
右訴訟復代理人弁護士 木本三郎
同 神谷恵子
控訴人 金光郁江
右訴訟代理人弁護士 小山利男
右訴訟復代理人弁護士 小田成光
同 川坂二郎
控訴人 竹内寿平
同 竹内節子
同 竹内靖二
同 山田昭子
右四名訴訟代理人弁護士 島田種次
右訴訟復代理人弁護士 小田成光
同 川坂二郎
控訴人 佐藤淳子
右訴訟代理人弁護士 小田成光
同 川坂二郎
控訴人 熊谷澄子
右訴訟代理人弁護士 田宮甫
同 堤義成
同 齋喜要
同 鈴木純
同 行方美彦
右訴訟復代理人弁護士 小田成光
同 川坂二郎
被控訴人 安藤サチ子
右訴訟代理人弁護士 伊東七五三八
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
<省略>
理由
一 請求原因1項の事実については、被控訴人と控訴人金光郁江、同竹内寿平、同竹内節子、同竹内靖二、同山田昭子との間においては争いがなく、被控訴人とその余の控訴人らとの間においては弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。
二 被控訴人の所有する原判決別紙第一物件目録記載の土地(以下「被控訴人所有地」という。)及び控訴人らの所有する同第二物件目録記載の土地(以下「控訴人ら所有地」という。)は、いずれも奥湯河原の傾斜地にあり、控訴人ら所有地はその南側にある被控訴人所有地よりも高所に位置しているところ、控訴人ら所有地の南端に石垣が築かれ、かつその上部に屋根付きの塀が設けられていることについては、当事者間に争いがない(以下右石垣及び塀を含めて「本件擁壁」というが、右石垣のみを便宜「擁壁」ということがある。)。
三 被控訴人は、土地所有権に基づく妨害予防請求権の行使として、控訴人らに対し本件擁壁の築直し工事を求めるものであるが、右請求権を行使するためには、本件擁壁の崩壊する危険性が客観的にみてきわめて大きいものであることを要すると解される。
そこで、以下本件擁壁の危険性について判断する。
1 <証拠>(以下「渡辺鑑定」という。)によれば、右石垣は宅地造成等規制法施行(昭和三七年二月一日)前に築造され、その高さは三・二七メートル、延長は二六・二メートル、平均傾斜度は七三・九度であり、いわゆる空石積みの工法をもって築造されているので、胴込めコンクリートは使用されていないが、裏込め砂利は存在するものと推定されること、なお、水抜きパイプ、排水溝、溜桝等の設備はないこと(もっとも、空石積みの場合は土中に滲透した水は組石の隙き間から排出されるので、水抜きパイプは必ずしも必要ではない)、また、右石垣の上部には鉄筋コンクリート造の高さ一・八五メートル、延長二一・三メートル、厚さ〇・一二メートルの塀(以下「本件塀」という。)が設置され、その背面には約一・八メートルの間隔で控え壁が配されていることの各事実が認められる。
2 <証拠>によれば、本件擁壁の西側が昭和五七年以前に延長約六メートルにわたって背後の土砂とともに崩壊し(その原因については後記のとおり)、さらに右石垣には少なくとも二か所の組石に目地のひび割れがあるほか、数か所に若干のはらみが生じていること、また、本件塀にも少なくとも三か所に亀裂が走っており、右塀の倒壊を防ぐためこれを下から支えるべく二本の鉄パイプ(直径五センチメートル)が立てられていることの各事実が認められる。
3 <証拠>によれば、控訴人ら所有地はもと金光トシの所有であったが、同女の死亡後その遺産相続をめぐって控訴人らの間に争いがあり、控訴人ら所有地の帰属が定まらなかったこともあって、昭和五九年頃まではその管理が十分でなかった事実が認められる。右のとおり、本件擁壁は、宅地造成等規制法及びこれに基づく宅地造成等規制法施行令の認めない空石積みの構造をもって築造され、昭和五九年頃まではその西側の部分が背後の土砂とともに崩落していたほか、組石の一部に目地のひび割れやはらみも認められ、しかも、本件擁壁及びその背後地について控訴人らの管理も十分ではなかったのであるから、これをそのまま放置して置くときには、風雨、地震等の自然力の作用によって崩壊に至る危険性が全くなかったとは言い難い状態であったということができる。
4 しかしながら、<証拠>によれば、次の諸点が認められる。
(一) 本件擁壁西側の崩壊の原因は、地盤の破壊形状から逆算して得られた地盤の推定強度から、上流側から雨水が流入し控訴人ら所有地の低部にある本件擁壁付近に集中して、その背後の地盤の含水量を増大させて強度低下と重量増加が生じ、これに水圧が加わったことにあるものと考えられる。
右西側の石垣部分は、昭和六一年頃までには修復され、被控訴人所有地の西端約二メートルの位置で約一・五メートルの高さから既設の石垣に向け斜め上向きに練石積みの擁壁となっている。また、控訴人ら所有地の地表排水が本件擁壁に向って流下しないように、右擁壁に近い南側部分を盛り上げて地表処理がされている。
(二) 昭和六一年八月から昭和六二年二月まで約半年間にわたって本件擁壁背面の地盤や石垣の組石の各変位、擁壁の傾斜角、コンクリート塀の亀裂幅を測定する方法により本件擁壁の変動状況を観測した結果、右コンクリート塀西側の亀裂幅が単調増加を続けているほかは、前記のいずれにもほとんど変動は認められなかった。
(三) 一般に崖崩れは、連続降雨量が一〇〇ミリに達するとかなり目立ち始め、それが危険な崖と目されている場合には三〇〇ミリに達するまでの間にほとんどの被害が発生してしまうことが土木建築の分野でよく知られている現象であるところ、本件擁壁の西北約四キロメートル、標高約九六〇メートル(本件擁壁付近の標高は約三〇〇メートル)の位置にある箱根屏風山観測点における雨量記録によれば、前記の変状観測期間中における最大連続降雨量は三一一ミリであるので、右期間における本件擁壁付近の最大連続降雨量は二五〇ミリ程度と推定されるのであるが、前記のとおり本件擁壁に異常は認められなかった。また、前記雨量記録によれば箱根屏風山観測点において昭和五八年九二〇ミリという連続降雨量が記録されているが、その連続雨量の状況においても、本件擁壁は崩壊しなかった。
(四) 本件擁壁背面地盤のボーリングの際における標準貫入試験のN値から強度を推定することにより、円弧すべり面を仮定して安定計算を行った結果から、本件擁壁は安定しているとの結論が得られている。
(五) 右(一)ないし(四)の諸点を総合して考えると、本件擁壁及びその付近の地盤の維持管理を今後怠る場合には、将来それが崩壊する危険性のあることに留意する必要があるが、本件擁壁は現在安定していると判断することができる。
以上のとおり認められ、前掲証人力石喜美男の証言も右認定を覆すに足りない。
5 もっとも、右<証拠>には、地震による崩壊の危険性についての検討がないが、これは同鑑定にも記述されているように、現在の学問水準では正確にこれを予測することが困難であり、それもやむを得ないことと思われる。昭和六〇年以降、本件擁壁の所在地を含む地域に、昭和六二年一二月一七日の千葉県東方沖地震を含めて数回震度の大きな地震が発生していることは当裁判所に顕著な事実であるが、被控訴人が当審で提出した証拠によっても、右の地震の発生により本件擁壁が崩壊又は崩壊の兆しの生じたことを認めることができない。
以上の諸点に徴すれば、本件擁壁は、いまだ崩壊する危険性が客観的にみてきわめて大きいものということはできないのであるから、被控訴人の本訴請求は理由がないものというべきである。
四 よって、被控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきものであるところ、これとその趣旨を異にする原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから原判決を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 猪瀬愼一郎 裁判官 山中紀行 裁判官 武藤冬士己)